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斎宮行列 嵯峨嵐山 野宮神社


 

20日、京都・嵯峨嵐山では、令和になって初めての斎王行列が行われた。

今回で21回目となる。

野宮神社を出発した斎王行列は、嵯峨嵐山地区を巡り、沿道では多くの人たちが平安衣装を身に着けた行列に見入っていた。

十二単姿の斎王代が御輿に乗って、かつて伊勢へと向かう行列を”群行”と呼ばれる行列で、約100人ほどの武官、官女に加えて今日の境まで見送る勅使らが付き従い、かつてのごとく壮麗なものである。

最後、大堰川(保津川)の禊場で禊の儀をおこなった。

 

斎王とは、天皇が即位すると未婚の内親王(皇女)から卜定で選ばれ、伊勢神宮に仕えた。

斎王に選ばれると、宮中の初斎院に入り、その後の秋に嵯峨嵐山の野宮に移り、潔斎の日々を送り、1年ほど経った9月に葛野川(大堰川)で禊を行い、大極殿で発遣の儀に臨む。斎王は天皇の譲位や崩御、肉親の不幸などの場合しか解任されず、伊勢神宮の斎宮で過ごした。大極殿では、天皇自ら斎王の髪に小さな櫛を挿し「都のほうへおもむきたもうな」と声をかけられたという、すこし切ない場面である。この後、再び輿に乗り、武官、官女らとともに伊勢神宮へと群行したのである。

「源氏物語」は紫式部の書いた架空の話ではあるが、光源氏の年上の恋人で会った六条御休所は、娘の斎宮とともに野宮に入り、伊勢へと下向した話も有名。

 

5月、賀茂社において執り行われている”葵祭(賀茂祭)”は斎院とよび、伊勢斎宮と二つの斎宮制度が並立したが、伊勢斎宮の方が歴史的には古い(斎院と斎宮で区別できる)。

 

斎宮行列(主催:斎宮行事保存会、嵐山商店街、嵯峨商店街)は1999年に、古来の斎王行列を忠実に復興されたもので、毎年10月第三日曜日に執り行われている。