生誕1250年特別展「空海 KŪKAI ― 密教のルーツとマンダラ世界」
2024年4月13日(土)~6月9日(日)
本展は、空海(774~835)が日本にもたらした密教の全貌を解き明かすとともに、密教の「マンダラ空間」を展示室に展開し、国宝・重要文化財を含む様々な作品により、空海と真言密教の魅力を紹介します。 本展では、平安時代、淳和天皇の発願のもと空海が制作を指導した現存最古の両界曼荼羅で、神護寺(京都市右京区)が所蔵する国宝《両界曼荼羅(高雄曼荼羅)》を、修理後初めて公開します。「胎蔵界曼荼羅」と 「金剛界曼荼羅」の2幅からなり、いずれも約4メートル四方の大きさを誇ります。
【開催趣旨】
空海の生誕1250年を記念して、空海が日本にもたらし、その後の日本文化に大きな影響を与えた密教のルーツを辿る展覧会が開催されます。
「虚空尽き、衆生尽き、涅槃尽きなば、わが願いも尽きむ。」(『性霊集』巻第八)
(この世のすべての物が消滅し、仏法の世界が尽きるまで、私は人々が救われることを願い続ける)
衆生救済を願った空海が人々を救うためにたどり着いたのは密教でした。空海は、中国・唐にわたり、師匠の恵果和尚(けいかかしょう)から密教のすべてを授けられ受け継いだといわれます。
本展では、密教がシルクロードを経由し東アジア諸地域、そして日本に至った伝来の軌跡をたどることにより、空海が日本にもたらした密教の全貌を解き明かします。また多数の仏像や仏画により、空海が「目で見てわかる」ことを強調した密教の「マンダラ空間」を再現するとともに、空海と真言密教の魅力に迫ります。
【本展のみどころ】
1.空海密教の実像に迫る!
今なお人々の心に救いや生きる道の示唆を与えてくれる空海の伝えた密教を、残された史料で読み解きます。
2.空海自ら制作を指揮した「高雄曼荼羅」修理後初公開!
※展示替えあり(展示期間未定)
現存最古の両界曼荼羅で、空海が思い描いた密教の世界観を伝え、日本の曼荼羅の原点でもある「高雄曼荼羅」を修理後初めて展示します。
3.マンダラ世界を立体で再現!
国宝 五智如来坐像(京都・安祥寺)や重要文化財 大日如来坐像(和歌山・金剛峯寺)、重要文化財 不動明王坐像(和歌山・正智院)、両界曼荼羅など、密教の尊像がぐるりと囲むダイナミックな展示空間で、マンダラの世界を体感できます。
4.「唐以前」の密教の源流を紹介!
海と陸のシルクロードを経てインドから中国・唐、そして日本へと伝わる密教の伝播を解説します。
5.国宝約30件、重要文化財約60件、密教の名宝を存分に展示!
密教とマンダラ
空海が伝えた密教とは、
文字や言葉だけでは伝えられない、深く秘された仏の教えのことです。
その教えを説くのは大日如来で、
大日如来そのものが世界の真理(正しい物事の道筋、真実)であるとされます。
また密教では、心に仏の姿や世界をイメージし、
手で「印」をつくり、口で真言(仏の真実の言葉)を唱えます。(三密加持)
そうして仏と自分が一体(入我我入)となることで、
誰もがすみやかに仏になれる(即身成仏)と説くのです。
悟りと即身成仏への道を説く
金剛界マンダラ
金剛界マンダラは、9つの区画に分かれています。
それぞれの区画の中心にいるのは、全て大日如来で、ほかにも同じ仏が何度も登場します。
これは、様々な段階、心の有り方によって、説明の方法や物事の見え方が違うことを、仏が姿を変えていくことで表しているとされます。
大日如来の慈悲の世界を示す
胎蔵界マンダラ
胎蔵界マンダラの中心にいるのは大日如来で、その周囲には、たくさんの如来・菩薩・明王・天などが配置されています。
密教では、これらは全て、大日如来の力が姿を変えて現れたものと考えられます。
つまり、大日如来が様々な形で人々を救い、慈しんでいることを表しています。
第1章 密教とは ─── 空海の描いた世界
空海は、「密教は奥深く文筆で表し尽くすことが難しい。そこで図や絵を使って悟らない者に開き示すのだ」と述べました。
本章では密教世界の中心である大日如来とそれを取り囲む仏たち、胎蔵界、金剛界という2つのマンダラの世界を、立体的な空間で展示します。
五智如来とは、五智(仏の五種の智慧)を五仏(大日如来・阿閦如来・宝生如来・阿弥陀如来・不空成就如来)のそれぞれ配したもので、金剛界五仏のことです。大日如来を中心に、大日の徳を表した如来が取り囲み、金剛界の世界を表している。5軀がそろって伝わる最古の五智如来坐像です。
《大日如来》
宇宙の真理そのものを現わすとされる密教の絶対的中の本尊です。
大日のもとの言葉はサンスクリット語の「ヴァイローチャナ」で「太陽の子」という意味です。また摩訶毘盧遮那仏(まかびるしゃなぶつ)ともよばれます。「摩訶(マハー)」は「大きい」「偉大な」という意味ですから「大毘盧遮那仏」となります。
通常の如来像は頭になにもかぶらず、衲衣という簡素なものですが、大日如来だけは立派な宝冠をかぶり、瓔珞といった装身具などを身に着けています。
大日如来像は座像の一面二手がほとんどで、豪華な飾りを身に着け、二本の手は法界定印(胎蔵界)か智拳印(金剛界)を結んでいます。
この大日如来は、左手で親指を中に入れて人差し指を立てた拳を作り、その人差し指の第一関節から上を右手の拳で握りこむ形をしていて、これは最大の判断力である智を表しています。
真理を目に見える仏の姿にしたのが大日如来。時間や空間を超越した全宇宙を体現する仏が大日如来。これが空海の真言密教ですが、必ずしも真言密教の寺院は大日如来が本尊となっているわけではありません。悲しんでいる人にはそれをやわらげる姿、怒っている人には心を静める姿、痛みに苦しんでいる人には苦痛をなくす姿、喜んでいる人にはその喜びをさらに大きくする姿、というように化身して真理へと導きます。観音菩薩なら慈しみを、病気平癒は薬師如来、悪い心を静めるには不動明王、智慧を授ける文殊菩薩といった具合に、それぞれの役割を担った如来や菩薩たちは、あくまで大日如来の化身した一面であり、本質は大日如来=真理としてみれば、マンダラの中に多くの仏たちが存在することも、その意味も考えやすくなるかもしれません。
第2章 密教の源流 ─── 陸と海のシルクロード
密教は仏教発祥の地・インドにおいて誕生しました。
その根本経典とされるのが『大日経』と『金剛頂経』です。
『大日経』は陸路を通って唐に入ったインド僧、善無畏(ぜんむい)により漢訳され、『金剛頂経』は、海路を経て唐に入ったインド出身の金剛智によってもたらされました。
国際共同プロジェクトで修理後、日本初公開!
多数の尊像を並べ金剛界の立体マンダラを構成する群像の中心となる大日如来像。インドネシアに密教が伝わっていたことを示す重要な事例。今回の展覧会に向け、奈良国立博物館の協力により修理がなされた。
空海も見たかもしれない?
長安にあった安国寺の遺跡から出土した密教尊像の1つ。中国の仏教美術が隆盛を極めた盛唐期の傑作である。長安で密教を学んだ空海も、この像を目の当たりにしたかもしれない。
第3章 空海入唐と恵果との出会い ─── 胎蔵界と金剛界の融合
讃岐国に生まれた空海は、山林などでの修行を経た後、遣唐使の一員として学ぶ機会を得て唐に渡りました。
そして、長安で密教の僧、恵果阿闍梨と運命的な出会いを果たします。
弘法大師の生涯を描いた絵巻。巻第三では、荒れ狂う海を遣唐使船に乗って唐に向かう空海の姿が描かれている。
空海が唐より請来した密教独特の仏具。空海が請来した品目を記した「御請来目録」に金剛智から不空、恵果へと伝えられたと記載された法具に該当すると考えられる。
➡ 錫杖は僧が持つべき僧具の1つ。頂部の緻密な仏像や火焔宝珠など、日本の錫杖頭には見られない華やかな造りが目を引く。
第4章 空海の帰国 神護寺と東寺 ─── 密教流布と護国
帰国した空海は、神護寺を拠点に密教の流布を行い、多くの僧侶たちが密教を学ぶようになりました。
また朝廷の信頼を得た空海は、平安京の東寺を任され、密教による護国の役割も期待されていきました。
第5章 金剛峯寺と弘法大師信仰
仏教界において、重要な役割を担うようになっていった空海。
その一方で自然の中で心静かに修行し、瞑想したいという望みを持ち続けていました。
やがて朝廷の許可を得て、理想の地において金剛峯寺の建立に着手します。
➡ 正智院不動明王坐像は、ヒノキの一木彫で後頭部からの内刳りを行う像で、みるからに量感豊かな迫力をもつ不動である。頭頂部に表現された大きい蓮華は『摂無礙経』に説く頂蓮で、総髪にして左肩に垂れ、右手剣・左手索(いずれも後補)の通形の像である。しかし顔容は正面にして両眼とも大きく見開き、上歯をもって下唇を噛む、威厳ある不動明王像で、10世紀半ばをくだらないと思われる。
現存最古の両界曼荼羅
日本のマンダラの原点
修理後初公開!! 国宝・高雄曼荼羅
胎蔵界を東曼荼羅、金剛界を西曼荼羅とも呼ばれ、東西相対して密教の重要な儀式にかけられます。
神護寺ではかつて灌頂院に安置され、灌頂の儀式に用いられてきました。
1200年の時を経て、空海密教の神髄を伝える
空海が制作に関わった現存唯一の両界曼荼羅
高雄曼荼羅とは、天長元年(824)に神願寺が高雄の地に移って、神護寺と改称してから間もなく、空海自身の指導によって天長年間(824~833)に制作されたと考えられる巨大な両界曼荼羅で、天長御願、すなわち淳和天皇の御願によると伝えられています。
空海が恵果から与えられた両界曼荼羅は彩色された曼荼羅で、その形式は幾度か転写されましたが、現図曼荼羅として現在もなお東寺に伝えられています。(ページ最上部)
それに対して、高雄曼荼羅は花と鳳凰を組み合わせた文様を織り出した赤味がかった紫の綾に、金泥と銀泥(金銀の粉を膠でといた顔料)だけで描いた、いわゆる紫綾金銀泥絵両界曼荼羅です。
しかし、たとえ彩色はなくても、東寺の両界曼荼羅が幾度かの転写を経ているのに対し、これは空海在世当時の作品で、その軽く抑揚のあるのびやかな描線には、唐代絵画の優れた伝統がうかがえます。花鳥円文をあしらう綾地の巨大な画面に、金銀の流麗な線描で描き出される諸尊の端正な尊容が浮かびあがる様は、まさに日本仏教絵画史上の最高傑作です。
1793年、光格天皇の勅願で行われた修理以来約230年ぶりに、2016年から6年間にわたって行われた修理事業後、本展は初めての一般公開の機会となります。
弘法大師・空海(774~835)
宝亀5年(774)、讃岐国の豪族、佐伯直田公(さえきあたいのたぎみ)の子として誕生。幼名は真魚(まお)。
伊予親王の侍読をつとめていた母方の叔父・阿刀大足(あとのおおたり)から論語・孝経・史伝・文章などの指導を受け、15歳で上京して儒学を受け大学明経科に入学したが、次第に仏教へと惹かれ、18歳で、儒仏道を批判した『聾瞽指帰(ろうこしいき)〔のちに三経指帰に改める〕』を発表して仏教に専念し、勤操大徳に師事して得度出家。
南都仏教を研究し、また山林諸所で修行を重ね、修行中、一人の沙門より「虚空蔵求聞持法」を授かり、阿波の大龍嶽や伊予の石鎚山などで修行し、土佐・室戸岬の洞窟で求聞持法を修していた時、明けの明星が口に飛び込むという不思議な体験をしたことが『三経指帰』(『聾瞽指帰』)に書かれている。夢で感得して奈良の久米寺で『大日経』の出会うが理解ができず入唐を決意する。
31歳で入唐。長安で諸大徳を歴訪し、青龍寺の恵果に師事して密教の嫡流を受け、3年後帰朝した。
密教弘通の勅許を得て高雄山寺で灌頂を授け、高野山、東寺を賜って根本道場とした。また東大寺別当も兼ねた。
また日本で初めての私立学校綜芸種智院(しゅげいしゅちいん)を経営し、ほか、干ばつで苦しんでいた讃岐国で満濃池の修築を行ったり、土木・医学や天文学に通じ、密教美術を指導し、書においても日本三筆の一人に代表される。多くの社会教化をおこなって、今なお四国遍路などにその姿が続いている。
体系的な密教を完成させ、密教への理解を広げるため、多数の著作を執筆し、日本の真言密教を確立した。
承和2年(835)、高野山で入場した。
「三筆」空海の直筆史料も多数展示!
空海は語学や建築にも通じた天才であったと言われますが、書の名手でもあり、この時代のもっとも秀でた3名(三筆)の一人とも称されます。本展では、空海の直筆も多数展示します。
国宝 聾瞽指帰 下巻 [部分] 平安時代(8~9世紀) 和歌山・金剛峯寺
儒教・道教・仏教について、各分野の人物を登場させて論議させながら最後には仏教の教えの素晴らしさを説く空海24歳の時の著作。本巻は自筆本と認められている。
国宝 風信帖 平安時代(9世紀) 京都・教王護国寺(東寺)
空海が最澄に宛てた手紙。書物を送ってくれたことへの感謝と、最澄の来訪を希望していることが書かれる。
【開催概要】
■企画展名:生誕1250年記念特別展「空海 KŪKAI ― 密教のルーツとマンダラ世界」
■会 場:奈良国立博物館 東西新館
■会 期:2024年4月13⽇(土)~ 6月9⽇(⽇)[51日間]
■開館時間:09:30~17:00 ※入館は閉館30分前まで
(名品展は開館時間が異なります。詳しくは奈良国立博物館公式ホームページをご覧ください。)
■休 館:毎週月曜日、5月7日(火)
※ただし、4月29日(月・祝)、5月6日(月・振休)は開館
■観覧料金: 一般 2,000(1,800)円、高大⽣ 1,500(1,300)円
*( )内は前売および団体料金。
*前売券は、2月13日~4月12日まで。
*中学生以下は無料。
■主 催:奈良国立博物館、NHK奈良放送局、NHKエンタープライズ近畿、読売新聞社
■学術協力:高野山大学
■協 賛:NISSHA、築野グループ
■協 力:インドネシア国立中央博物館、陝西省文物局、陝西省文物交流中心、西安碑林博物館、日本香堂、仏教美術協会
■展覧会公式HP: https://kukai1250.jp/