印象派 モネからアメリカへ ウスター美術館所蔵

 

2024年10月12日(土)~ 2025年1月5日(日)

 


 

150年前 フランスで生まれた印象派は 大西洋を越えたアメリカの地でも花開いた

 

そんな ” アメリカ印象派 ” の作品が 2024年 日本にやってくる

 

ウスター美術館が誇る名作の数々 その魅力をご堪能ください

 

 

 第1回印象派展から150周年を迎える2024年、印象派がヨーロッパやアメリカへもたらした衝撃と影響を辿る「展覧会です。19世紀後半、大都市パリには国外からも多くの画家が集いました。パリで印象派に触れ、学んだ画家たちは、新しい絵画の表現手法を自国に持ち帰ります。本展は、西洋美術の伝統を覆した印象派の革新性とその広がり、とりわけアメリカ各地で展開した印象派の諸相に注目します。

 アメリカ・ボストン近郊に位置するウスター美術館は、1898年の開館当初から印象派の作品を積極的に収集してきました。このたび、ほとんどが初来日となる同館の印象派コレクションを中心に、日本でもよく知られるモネ、ルノワールなどフランスの印象派にくわえ、ドイツや北欧の作家、国際的に活躍したサージェント、さらにはアメリカの印象派を代表するハッサムらの作品が一堂に会します。これまで日本で紹介される機会の少なかった、知られざるアメリカ印象派の魅力に触れていただく貴重な機会となります。


ウスター美術館

 

アメリカ・マサチューセッツ州第2の都市ウスターにある美術館。1896年に設立され、1898年に開館した。古代エジプト、古代ギリシャ・ローマの美術から、ヨーロッパやアメリカの絵画・彫刻、世界各地の現代美術まで、およそ38,000点のコレクションを誇る。2013年には約2,000点の武具武器から成るジョン・ウッドマン・ヒギンズ・コレクションが加わった。幅広いコレクションを活かした展覧会やさまざまな教育プログラムうぃ実施し、多様な来館者にアートに触れる機会を提供しつづけている。

 


みどころ

 

1.モネ、ルノワール、カサット 名だたる画家たちの作品が集結

 

ウスター美術館のコレクションを中心に、モネやルノワールなどのフランス印象派やアメリカ印象派を代表するハッサムなどの油彩画約70点を展示します。そのほかクールベ、コロー、シスレー、ピサロ、カサット、サージェント、ホーマー、セザンヌ、シニャックら40人以上の画家の作品が集結します。

 

2.海を越えて花開いた ” アメリカ印象派 ”

 

フランスで生まれた印象派は、海を越えて広がり、アメリカ各地で独自に展開していきました。その技法はニューイングランドの田園風景や西部の自然の驚異など、アメリカらしい主題にも応用されていきます。本展では、これまで日本で紹介される機会の少なかった、” アメリカ印象派 ” の知られざる魅力を堪能いただく貴重な機会となります。

 

3.日本初公開! ウスター美術館コレクション

 

ウスター美術館は、開館当初から同時代美術館として印象派の作品を収集し、1910年にはモネの《睡蓮》を美術館として世界で初めて購入しました。本展は、ウスター美術館の珠玉の印象派コレクションを紹介する日本で初めての機会となります。


第1章 伝統への挑戦

 

 

急速に近代化する19世紀、画家たちも新しい主題や技術を探求します。19世紀前半、農村に移り住んだ画家たちは、農民の生活や田園風景を主題に選びました。それまで風景は、歴史や神話・聖書の物語、あるいは名所旧跡を主として描かれるものでした。しかし、バルビゾン派やレアリスムの画家たちは、祖国フランスに目を向け、身の回りの風景に注目したのです。これは、歴史画を頂点とする伝統的な絵画のヒエラルキーを覆すものでした。また、アメリカにおいても、自国の雄大な自然に対する関心が高まり、「アメリカ的な」風景が人気を博します。本章では、大西洋の両岸における、こうした印象派の先駆けとなる動きをご紹介します。

 

No.1 詩情ある風景画の名手

ジャン=バティスト=カミーユ・コロー

《ヴィル=ダヴレーの牧歌的な場所 ─ 池畔の釣り人

1985年-70年 油彩・カンヴァス

Bequest of Mrs.Charlotte E.W.Buffington,  1035.45

 

ヴィル=ダヴレーにはコロー家の別荘があり、画家はこの地を繰り返し描いた。コローが通風を患っていた時期の本作は、記憶をもとにアトリエで制作されたと考えられる。池畔の大樹により、画面右手に開ける明るい景色が際立つ。帽子の赤、点々と咲く野の花の色がアクセントとなり、穏やかで詩的な雰囲気が生み出されている。

No.2 19世紀後半アメリカを代表する画家

ウインスロー・ホーマー《冬の海岸》

1892年 油彩・カンヴァス

Theodore T . and Mary G. Ellis Collection,  1940.60

 

ホーマーは独自に戸外制作を始め、画業の後半には海や海と対峙する人々を描くことに注力した。画面を対角に区切るように、荒々しい海と冬の海岸が描かれる。打ち寄せる荒波には激しい動きを表す大胆な筆づかいが見られ、こうした表現に印象派との共通項が認められる。画面左下の積雪には足跡が残され、人の気配を感じさせる。

No.3 ハドソン・リヴァー派の父

トマス・コール

《アルノ川の眺望、フィレンツェ》

1837年 油彩、カンヴァス

Gift of Martha Esty, 1991.179

 

崇高なアメリカ的風景画の名手として人気を博したコールだが、本作の舞台はヨーロッパ旅行で訪れたフィレンツェ近郊。イタリアの古典的な風景画の伝統に触発され、コールは人間と自然の調和を描き出した。光を映す川や霞む山々といった壮大な自然の中に、この地に暮らす人々が小さく配されており、人間と自然の理想的な共存が表現されている。

 

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第2章 パリと印象派の画家たち

 

 

1874年4月、パリのカビュシーヌ大通り35番地にて、のちに「印象派」と呼ばれる画家たちによる初めての展覧会が開催されました。クロード・モネ、ピエール=オーギュスト・ルノワール、カミーユ・ピサロらは、サロン(官展)への出品をやめ、自分たちで作品を展示する場をつくり出したのです。彼らはアカデミーの伝統から離れ、目に映る世界をカンヴァスに捉えようと、アトリエを出て、鮮やかな色彩を採用し、大胆な筆づかいを試みました。また、大都市パリには、各地から芸術家が集います。本章ではフランス印象派にくわえ、彼らと直接に交流を持ち影響を受けたアメリカ人画家、メアリー・カサットやチャイルド・ハッサムの作品もご覧いただきます。

 

No.4 すべての印象派展に参加した画家

カミーユ・ピサロ

《ルーアンのラクロワ島》

1883年 油彩、カンヴァス

Gift from the Estate of Robert W. Stoddard, 1998.213

 

フランス北部の都市ルーアンは、大西洋とパリをつなぐ水運拠点であり、モネやシスレーらもこの地で制作を行った。1883年に初めてルーアンに滞在したピサロは、産業化する新しい都市の情景へと目を向けた。煙を出す水辺に工場の煙突や行き交う蒸気船は、近代化する街と大気の効果に魅了されたピサロにとって格好のモティーフとなった。

 

No.5 印象派展に参加した唯一のアメリカ人

メアリー・カサット

《裸の赤ん坊を抱くレーヌ・ルフェーヴル(母と子)》

1902‐03年 油彩、カンヴァス

Museum Purchase, 1909.15

 

愛情あふれる母子像で知られるカサットらしい作品。赤ん坊のふっくらとした頬や柔らかい髪、女性の水玉のドレスなど、それぞれの質感を巧みに描き分けている。レーヌはこの時期によくカサットのモデルを務めた料理人で、ふたりは実際の母子ではない。カサットは制作の傍ら、アメリカの友人は収集家に印象派を広める役割も果たした。

 

 

No.6 フランス印象派の巨匠

クロード・モネ

《睡蓮》

1908年 油彩、カンヴァス

Museum Purchase, 1910.26

 

モネは、後半生をパリの北西65㎞ほどにあるジヴェルニーで過ごし、晩年は自らつくり上げた「水の庭」の睡蓮を描きつづけた。実際に描かれているのは池のほんの一画だが、水面の映り込みによって周囲の木々や空をも取り込み、果てしない広がりを感じさせる。1909年、モネはパリのデュラン=リュエル画廊で〈睡蓮〉連作を発表した。翌年、ウスター美術館が購入した本作もこの1点。本作の収蔵により同館は、〈睡蓮〉を購入した世界で初めての美術館となった。なお、本展では本作品購入に関わる同館と画商の間で交わされた書簡(複製)等もあわせて紹介する。

 

 

No.7 アメリカ印象派を代表する画家

チャイルド・ハッサム

《花摘み、フランス式庭園にて》

1888年 油彩、カンヴァス

Theodore T. and Mary G. Ellis Collection, 1940.87

 

ハッサムはボストンで成功を収めたのち、1886年からパリに留学した。アカデミーの方針と合わず退学するが、パリでバルビゾン派や印象派の作品と出合い、その新しい表現を自らの制作に採り入れてゆく。本作に描かれるのは、ハッサムが滞仏中に夏を過ごした、パリ郊外の友人宅の庭園。木漏れ日の表現、明るい色調や瑞々しい草花を表らす大胆な筆致、非対称の構図などからは、ハッサムが印象派の技法を積極的に学んだことがよくわかる。

 

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第3章 国際的な広がり

 

 

 

パリを訪れ、印象派に触れた画家たちは、鮮やかな色彩、大胆な筆触、同時代の都市生活の主題などを特徴とする、新しい絵画の様式を自国へ持ち帰ります。印象派の衝撃は急速に各地へ広がりますが、多くはフランス印象派に固執するものではなく、各地で独自に展開してゆきます。画家たちの往来・交流により、印象派と分類されない画家や、フランスを訪れたことのない画家にも、印象派の様式は波及しました。もちろん日本も例外ではありません。明治期にパリに留学し画家らによって、印象派は日本にもすぐ伝えられました。本章では、国内の美術館に所蔵される黒田清輝や久米桂一郎らの明治期から大正期の作品を展示し、日本における印象派受容の一端もたどります。

 

 

No.5 スウェーデンの国民的画家

アンデシュ・レオナード・ソーン《オパール》

1891年 油彩、カンヴァス

Gift of Marianne and Jeppson, 1986.59

 

パリでレアリスムや印象派に親しんだソーンは、スウェーデンに戻ると、故郷ムーラの風景に裸婦を配し、新しく習得した技法を試みた。タイトルは、湖に反射した虹色のきらめきを表している。裸の背に斑に落ちる木漏れ日の描写、陽光を浴びてきらめく緑を捉える軽い筆触などに、フランス印象派の影響が認められる。

 

 

 

No.9 大西洋の両岸で活躍した国際派

ジョン・シンガー・サージェント

《キャサリン・チェイス・プラット》

1890年 油彩、カンヴァス

Gift of William I. Clark, 1983.36

 

サージェントは、ジヴェルニーのモネの家を訪ねるなど、フランス印象派と交流をもった画家だ。肖像画の名手として社交界で人気を博し、印象派をアメリカへ広める広めることにも貢献した。本作は依頼主に拒まれ未完成だが、それゆえ画家の巧みですばやい筆触がよく見える。大輪の花々や白いドレスが、モデルの瑞々しい若さを際立たせている。

 

 

No.10 日本近代洋画の父

黒田清輝《草つむ女》

1892年 油彩、カンヴァス 東京富士美術館

 

黒田は、1893年に27歳で帰国するまでおよそ9年間をフランスで過ごした。アカデミックな教育を受けながらも、バルビゾン派や印象派などにも触れ、帰国とともに新しい絵画表現を日本にもたらした。穏やかな光に満ちた本作には、明るい色調や対象にあわせた自由な筆づかいが採用されており、印象派への関心が見て取れる。

 

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第4章 アメリカの印象派

 

 

 

1880年代半ばになると、アメリカの画商や収集家はヨーロッパの印象派に熱い視線を送るようになります。多くのアメリカの画家がヨーロッパに渡り、印象派の様式を現地で学びました。いち早くそれを自らの制作に採り入れたウィリアム・メリット・チェイスやチャイルド・ハッサムは、アメリカに戻ると画家仲間や学生たちにも新しい絵画表現を広めました。アメリカにおける印象派は、それぞれの画家の独自の解釈を交えて広がってゆき、地域ごとに少しずつ異なる様相を見せます。フランス印象派に忠実にあろうとする画家がいる一方、その様式にアレンジをくわえ、アメリカらしい田園風景や家庭内の情景を捉えようとする画家たちも登場しました。

 

No.11 ウスターを代表する風景画家

ジョセフ・H・グリーンウッド《リンゴ園》

1903年 油彩、カンヴァス

Bequest of Ruth G. Woodi, 2017.25

 

グリーンウッドが得意とした地元ニューイングランドの穏やかな風景。明るい色調に、光の揺らめきを感じさせる、かすれるような筆触によって牧歌的な晩春の美しさがよく表現されている。グリーンウッドは印象派の表現を採り入れたが、ハッサム同様、「印象派」と呼ばれることを拒み、そうした様式分類にとらわれないことを望んだ。

No.12

チャイルド・ハッサム

《シルフズ・ロック、アップルドア島》

1907年 油彩、カンヴァス

Gift of Charlotte E.W.Buffington in memory of her husband, 1908.5

 

ボストンの北東80kmほどに位置するショールズ諸島のアップルドア島は、作家や芸術家に人気の避暑地で、ハッサムもよくここで夏を過ごした。細長い筆触の向きを変え、光を浴びる花崗岩やその海面付近の藻、打ち寄せる波を巧みに描き分けている。ハッサムはここで、どんな場所でも景色は変わりつづけるという考えを探求し、島のさまざまな姿を描いた。

No.13

ジョン・シンガー・サージェント

《コロンバス大通り、雨の日》

1885 年 油彩、カンヴァス

Bequest of Mrs. Charlotte E.W.Buffington, 1935.36

 

1883年、パリを訪れたハッサムは初めて印象派の作品に触れ、帰国後はボストンを拠点にその経験を生かしていった。雨の大通りを舞台にした本作には、遠景のかすむ街の空気や、つややかな舗道の光が美しく表現されている。ハッサムは都市を行き交う人々の動きに高い関心をもち、こうした大通りの情景を繰り返し描いた。

 

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第5章 まだ見ぬ景色を求めて

 

 

 

印象派の衝撃を受けた画家たちは、新しい絵画の探求をつづけてゆきます。フランスのポスト印象派は、光への関心を継承しつつも自然主義を脱却し、印象派に影響を受けたドイツの画家たちの作品には、自らの内面の表出を重視する表現主義の芽生えが認められます。アメリカでは、トーナリズム(色調主義)の風景画が人気を博します。南北戦争の混乱がつづくなか、目に見えないものの表現を重視し、落ち着いた色調で描かれるこうした風景は、人々の心の安らぎとなりました。

 また印象派の様式は、画家たちがさまざまな地で制作することを可能としました。戸外制作の技術を活用し、画家たちは大自然の驚異を見せるアメリカ西部へ分け入り、初めて目にする景色をもカンヴァスに留めてゆきました。

 

No.14 ウスターを代表する風景画家

ポール・セザンヌ

《「カード遊びをする人々」のための習作》

1903年 油彩、カンヴァス

Bequest of Ruth G. Woodi, 2017.25

 

1890年頃からセザンヌは、故郷の南仏でカード遊びをする人々の絵画に取り組んだ。本作は現在メトロポリタン美術館に所蔵される作品の習作。数々の習作には印象派の即興性から離れ、構図を熟考する画家の姿勢が窺える。室内は柔らかな光で覆われているが、人物は輪郭線で強調され、厳かさすら感じさせる堅固な構成となっている。

No.15 新印象派を代表する画家

ポール・シニャック《ゴルフ・ジュアン》

1890-92年 油彩、カンヴァス

Gift from the Chapin and Mary Alexander Riley Collection, 1964.27

 

シニャックが家を買い、ヨットを置いた南仏のリゾート地ゴルフ・ジュアンが遠景に見える。彼は光学や色彩理論にもとづく点描技法を採用したが、1890年代中頃から次第に筆触は大きく、色彩は自由になってゆく。地中海の強い日差しと鮮やかな色彩だけでなく、平和で穏やかな日々ウィ慈しむような画家の想いも伝わってくるようだ。

No.16 印象派の普及にも貢献したボストンの画家

フランク・ウェストン・ベンソン《ナタリー》

1917年 油彩、カンヴァス

Gift of Desmiond Callan, Mary H . Bailey, and Cristine E, Callan, 1996106

 

アメリカ西部のワイオミング州で描かれた肖像画。完全に戸外で制作され、モデルがフェンスに腰を掛け本作と同じポーズをとる写真が残る。赤いネッカチーフとつばの広い帽子が青空によく映えている。カジュアルな服装ながら、遠くを見つめる眼差しと堂々とした姿には、20世紀初頭の近代的な女性らしい独立した精神が表されている。

No.17 グランド・キャニオンの作品で知られた風景画家

デウィット・パーシャル

《ハーミット・クリーク・キャニオン》

1910-16年 油彩、カンヴァス

Museum Purchase, 1916.57

 

1901年に鉄道が敷設されて初めて、多くの人々がグランド・キャニオンを訪れるようになった。パーシャルは1910年に初めてこの地に立ち、「この世のものとは思われない輝きに包まれて、半狂乱で緑のあたりを何時間もさまよい歩いた」という。すばやい筆触と、淡いピンク、黄色、青紫色の陰影を用いて、渓谷に反射する太陽光の印象が捉えられている。