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大阪天満宮 鎮花祭

 

桜が咲き、多くの花々が咲き誇る季節。

大阪天満宮で、天神さんの25日、鎮花祭が行われた。

 

※鎮花祭についての考証は「やすらい祭り」などと考えあわせながら総合的に別途レポート報告します。

 

この時期、気候も暖かくなり、様々な災厄が生じやすい時期。

ご先祖の代「花の精霊」の仕業と考えられてきた。

奈良時代の「神祇令」※① に舞い散る花に乗って四方に飛び行く精霊を鎮め、国家国民の安泰を祈念して、鎮花祭(はなしずめのまつり)が国の公祀として規定された。

大阪天満宮でも古来より斎行されている。

(※①季春鎮花祭 (略)在春花飛散之時 疫神分散而行癪(=疫病) 為其鎮邊 必有此祭 故曰鎮花)

 

『本朝世紀』によれば、紫野御霊社で祀られた御霊や疫神、死霊を鎮魂し、神輿を二基造ってこれに乗せ、難波の海に流している。今、大阪天満宮の天神祭に、大川に流す「ホコ流し」もこれにあたると思われる。幾千人の男女が参集したといい、貴族の行事でなく、都の市民らが主導して行われている。

『梁塵秘抄口伝集』(巻十四)に「やすらい祭」についての記載がみられるが、同じく鎮花祭で、風流の歌舞をし、笛、鼓鉦、神楽と群がり集まって乱舞したといい、『本朝世紀』でも伶人が音楽を献じたという。

 

『令義解』の大神・狭井神社での疫病除けの鎮花祭も、京都・今宮神社の「やすらい祭」の赤衣で踊る鬼も(決して奇祭でもなく理由がある)、形は違えど、歌や踊りで疫病でおこす恐れのある御霊や疫を海や川に流していた。

 

先に都の人たちの祭りでもあったことを書いたが、農耕儀礼でもあり、「やすらえ、花や」と歌い踊るのは「ゆっくり散れ、花よ」ということで、花の散り具合を見て、秋の稲作の豊凶を占ったりする予祝でもあると思われる。

 

浪花神楽「式神楽第一」                                ⓒKOBE MEET TRIP
浪花神楽「式神楽第一」      ⓒKOBE MEET TRIP

 

以上のように、大阪天満宮においても雅楽、神楽、舞踊等奉納される。

 

(今年度雨天のため「やすらい祭」の取材等がでくていないため、遅れますが文化面のページのほうで花鎮め、そして関連して念仏踊りについてレポートを記載します)

 

 

 

【神楽】

 

浪花神楽「花湯」             ⓒKOBE MEET TRIP
浪花神楽「花湯」             ⓒKOBE MEET TRIP
 浪花神楽「花湯」             ⓒKOBE MEET TRIP
浪花神楽「花湯」             ⓒKOBE MEET TRIP
「花湯」浪花神楽     ⓒKOBE MEET TRIP
「花湯」浪花神楽     ⓒKOBE MEET TRIP

「花湯」

 

湯立て神楽を模した神楽で、屋内の湯立舞ともいわれる。

湯の代わりに切幣(きりぬさ)※千切りにした白紙を用いる。笹束で挟んで左右に撒き散らす。

祝い事によく演じられるという。

湯立て神楽は湊川神社「お火焚祭」、また日本文化ページ内覚書中、「初午・湯立て神事」の記事に掲載したが、釜で湯を煮えたぎらせてた湯を、笹や榊などの枝葉で撒き散らすことによって清められる神事で、古代に行われた「盟神探湯(くがだち)」=煮えたぎる湯に手を入れ、神明に問う裁判が原型であるといわれる。

 

「お火焚祭」詳細内部リンク

 

 

 

「珍らしな」大阪天満宮社伝神楽      ⓒKOBE MEET TRIP
「珍らしな」大阪天満宮社伝神楽      ⓒKOBE MEET TRIP
「珍らしな」大阪天満宮社伝神楽 ⓒKOBE MEET TRIP
「珍らしな」大阪天満宮社伝神楽 ⓒKOBE MEET TRIP

「珍らしな」(社伝神楽)

 

大阪天満宮に伝わる社伝神楽。

約130年の歴史を持つ。

頭の髪飾り(花簪、挿頭、前天冠)は梅の枝。

春日社の八枚襟のような重ね襟に女房装束の晴装束の裳を着用。

舞は扇、鈴の2種。

 

もとは春日大社の社伝巫女神楽であったのが、明治初年、春日社の社司・富田光美が神祇官令によって太宰府天満宮に伝えられたが、のち、明治17年に大阪天満宮に伝授され、その後、一時絶伝していたのを、昭和52年の菅公1075年祭記念として、舞を新た作舞して「朝日舞」から転用して復興され伝承されている。