特別展 法然と極楽浄土
10月8日(火)~12月1日(日)
◉ 開催趣旨
平安時代末期、繰り返される内乱や災害・疫病の頻発によって世は乱れ、人々は疲弊していました。比叡山で学び、中国唐代の阿弥陀仏信仰者である善導(613~681)の教えに接した法然(法然房源空、1133~1212)は、承安5年(1175)、阿弥陀仏の名号を称えることによって誰もが等しく阿弥陀仏に救われ、極楽浄土に往生できると説き、浄土宗を開きました。その教えは貴族から庶民に至るまで連綿と受け継がれています。
本展は、令和6年(2024)に浄土宗開宗850年を迎えることを機に、法然による浄土宗の立教開宗から、弟子たちによる諸派の創設と教義の確立、徳川将軍家の帰依によって大きく発展を遂げるまでの、浄土宗850年におよぶ歴史を、全国の浄土宗諸寺院等が所蔵する国宝、重要文化財を含む貴重な名宝によってたどるものです。困難な時代に分け隔てなく万人の救済を目指した法然と門弟たちの生き方や、大切に守り伝えられてきた文化財にふれていただく貴重な機会です。
◉ 本展の見どころ
鎌倉仏教の一大宗派である浄土宗の美術と歴史を、鎌倉時代から江戸時代まで通覧する史上初の展覧会です。
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開宗850年の大きな節目を契機に、浄土宗各派の協力を得て至宝が集まる決定的な展覧会です。
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重要文化財「選択本願念仏集」「七箇条制誡」など宗祖・法然にちなみ貴重な資料をはじめとする、国宝・重要文化財を多数含む文化財が一堂に集結します。
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国宝「綴織當麻曼荼羅」「阿弥陀二十五菩薩来迎図(早来迎)」をはじめとする浄土教美術の名品や、「仏涅槃像」などスケールの大きな優品など、浄土宗ゆかりの多彩な文化財をご覧いただけます。
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戦争、天災、疫病などと向き合い、人々の救済を目指した法然やその継承者たちの姿は、現代の転換期を生きる私たちに生きるヒントを与えてくれることでしょう。
◉ 京都会場の特色と見どころ
法然がその生涯の多くを過ごしたのは、平安京すなわち京都でした。今日、この地には、浄土宗総本山知恩院をはじめ、これに金戒光明寺、百萬遍知恩寺、清浄華院を加えた四ヶ本山や、また西山各派総本山の禅林寺、誓願寺、光明寺といった重要な寺院が集中しています。京都会場は3会場中最多の出品数で、これらの寺院に伝わる名宝の数々をご紹介します。展覧会とともに、ぜひ秋の京都で浄土宗の各寺院をお巡りください。
◉ 法然(1133~1212)
平安末期の長承2年(1133)、美作国久米(現在の岡山県久米郡久米南町)の押領使・漆間時国と母秦氏君清刀自との子として生まれます。9歳の時に夜討ちを受けて父を亡くし、菩提寺の住職であった叔父のものに引き取られました。
13歳で比叡山の西塔北谷の源光につき、2年後には東塔西谷の皇円のもと、授戒。天台の三大部を学びました。18歳の時、西塔黒谷の慈眼房叡空の弟子となり、後の思想的基礎はここで形成されました。
師・叡空からは戒律や念仏を学び、自らは念仏修行に没頭します。そんなさ中、源信の『往生要集』と出会い、凡夫もまた救済される道があることを知ります。以降、ひたすら「念仏」を広めることを決意して、比叡山を下ります。42歳でした。
下山後、現在の知恩院の境域・東山大谷に房を構え、独自の教えを説きはじめます。最初のうちは無名に近かったのですが、*京に戻ることができたのは4年後でした。
帰京した翌年の正月三日、大谷の禅房の病床で、念仏の肝要を一紙に記した「一枚起請文」を弟子の源智に渡します。その2日後に80歳の大往生を遂げました。
※大原問答
比叡山からの下山後、一介の聖となった法然の名声を高めるきっかけとなった「大原問答」。これは京都・大原の勝林院の天台僧・顕真に招かれた際に行った教義問答をいいます。ここで法然は、「今の世にふさわしい教門は専修念仏の" 浄土門 " だけである」と力説。この発言は、当時の仏教界に大きな波紋を投げかけました。
しかし、以来、その人気は不動になり、前の関白・九条兼実とその娘・宣秋門院が、法然の得度を受けて出家する頃には人気も絶頂に達していました。
◉ 法然を読み解くキーワード
極楽浄土と阿弥陀如来
浄土宗でもっとも中心的に信仰される仏(本尊)は、極楽浄土に住む阿弥陀如来(阿弥陀仏)です。阿弥陀如来はすべての衆生を救うためにたてた48の請願を達成し、極楽浄土を建立しました。西方にあるといわれるその世界は、美しい七宝や花、妙なる音楽に満ち、一切の苦がありません。念仏を称える人が現世で臨終の際、阿弥陀如来は聖衆とともに来迎し、極楽浄土への往生に導いてくれると考えられています。
浄土教と浄土宗
もともとインド・中国で発展した極楽浄土への往生を願う信仰は、日本では天台宗の比叡山延暦寺や平安貴族を中心に取り入れられました。一般にこれらを「浄土教」「浄土信仰」と呼びます。源信の『往生要集』は平安時代におけるその代表的な著作です。法然はこのように浄土教が盛んであった比叡山で学び、とくに中国の善道から大きな影響を受け、独自の教義を確立し、教団を形成するに至りました。これが今に続く「浄土宗」で、親鸞の浄土真宗や一遍の時宗が成立する土台ともなりました。
南無阿弥陀仏と専修念仏
「南無阿弥陀仏」とは、「阿弥陀如来に帰依します」という意味です。浄土宗では、六字名号ともいわれるこのフレーズを、念じるだけでなく声に出すこと(称名念仏、口称念仏)が、極楽往生を遂げるために必要な行法とされます。他の行を排してひたすら念仏を称えれば極楽往生できるという「専修念仏」の教えは、立場の異なる教団から批判を浴びましたが、その容易さから多くの支持を得ました。
第1章 法然とその時代
相次ぐ戦乱、頻発する天災や疫病、逃れられない貧困など、平安時代末期の人々は苦悩に満ちた「末法」の世に生きていました。この時代に生を享けた法然は、比叡山で天台僧としての修行を積みますが、43歳の承安5年(1175)、唐の善道の著作によって専修念仏の道を選びました。「南無阿弥陀仏」と称えれば救われるという教えは幅広い階層の信者を得ます。しかし、既存の仏教界からは念仏を止めることが強く求められ、ついに法然は75歳のとき讃岐国(香川県)へ配流されるに至りました。やがて帰京し、80歳で往生を遂げます。本章では、浄土宗の歴史のはじまりである、祖師・法然の事績や思想をたどります。
選択本願念仏集
建久9年(1198)九条兼実の要請によって法然が撰述したとされる。念仏こそが末法の世にふさわしい行であることを体系的に述べた日本仏教史上重要な文献。本書は冒頭に法然の自筆が含まれるといわれるもの。
重要文化財 法然上人坐像
鎌倉時代に造られた数少ない法然の彫像である。頭の頂が平らで角張った形が肖像画からうかがえる法然の特徴だが、この像の頭部は丸い。年齢は数ある画像より若い壮年期に見える。肖像画を写したのではなく、記憶から造ったのかもしれない。
◉宗祖・法然の足跡をたどる長大な聖典
国宝 法然上人絵伝 巻六
全48巻に及ぶ大部の法然伝。法然の生涯だけでなく、浄土宗に帰依した公家・武家や弟子たちの事績までをも収めた、数ある法然伝の集大成といえるもの。
「四十八巻伝」、または後伏見上皇の勅命でつくられたと伝わることから「勅修御伝」とも呼ばれる。[展示期間:前期]
※会期中場面替えがあります。
第2章 阿弥陀仏の世界
法然は、本尊である阿弥陀如来の名号をひたすらに称える称名念仏をなにより重んじました。貴賤による格差が生まれる造寺造仏などの善事をすることには否定的で、法然自身は阿弥陀の造像に積極的ではありませんでした。しかし、それを必要とする門弟や帰依者らには認めました。彼らは阿弥陀の彫像や来迎する様を描いた絵画を拝し、日ごろ念仏を称え、あるいは臨終を迎える際の心の拠りどころとしたのです。多くの人々の願いが込められた阿弥陀の造形の数々は、困難の多い時代、庶民にまで広がった浄土宗の信仰の高まりを今に伝えています。
◉修理によってよみがえった美の最高峰
国宝 阿弥陀二十五菩薩来迎図(早来迎)
早来迎は、対角線構図によって速度感を強調した来迎図を指すが、本図は異例な正方形画面とし、生まれた余白に山水景観を描くことで、三次元的な情景表現を達成している。修理で肌裏紙(はだうらがみ:本紙の裏に直接貼る補強紙)が交換され、山水表現がより鮮明になった。
◉山越しに姿を現した、密教的思想による阿弥陀図
国宝 山越阿弥陀図
浄土での説法を示す印相を結ぶ阿弥陀如来が、山の間から上半身を表す阿弥陀図の優品。画面左上に大日如来の種子「阿」字が表されることから、専修念仏の密教的解釈を行った禅林寺の思想を表わしたものとみられる。
◉数万人の思いがつまった法然一周忌の仏像
重要文化財 阿弥陀如来立像
法然の一周忌を期して弟子の源智が発願し、数万人の結縁を募って造像したことが像内納入品から知られ、法然示寂後の専修念仏の広がりを伝える。快慶の作風に近いが、立体感に富む衣文の彫刻など相違点も見られる。特定できないが作者は慶派の有力な仏師と考えられる。
第3章 法然の弟子たちと法脈
法然のもとには彼を慕う門弟が集い、浄土宗が開かれました。法然没後、彼らは称名念仏の教えを広めようと、それぞれ精力的に活動をおこないます。九州(鎮西)を拠点に教えを広めていった聖光の一派である鎮西派は、その弟子良忠が鎌倉を拠点として宗勢を拡大しました。また、証空を祖とする一派である西山派は、京都を拠点に活動を展開し、「観無量寿経」を図示した観経曼陀羅(當麻曼荼羅)を見出しその流布に大きな業績を残しました。
◉県外初公開 蓮糸で織られた伝説を持つ究極の極楽浄土図
国宝 綴織當麻曼荼羅
浄土経典『観無量寿経』を織り出した縦横4メートルに及ぶ大曼陀羅で、古代から浄土信仰の聖地でありつづけた當麻寺の本尊。これほど高度な技術によって制作された8世紀の遺例は世界でも他にない。
◉枕元に小さな極楽浄土
重要文化財 蒔絵厨子入阿弥陀三尊立像
阿弥陀三尊来迎の彫像を納めた、高さ15センチに満たない厨子。優美な蒔絵、彫金の飾金具、精緻な銀製光背などから、貴人の念持仏であったと想像される。寺伝には後柏原天皇(1464~1526)下賜という。
◉弟子たちとの手紙に遺された法然の肉声
重要文化財 源空証空等自筆消息
法然晩年のころ、のちに西山派祖となる証空など門弟たちとやり取りした消息(手紙)。人柄が感じられるような内容も多い。興善寺の阿弥陀如来立像の胎内から見出されたもので、結縁交名(像立に関わった人々の名簿)が裏面に記されている。
第4章 江戸時代の浄土宗
聖冏が常陸国で関東浄土宗の礎を築き、聖聡が江戸に増上寺を開くと、その弟子たちは体系化された浄土宗の教義を全国に普及していきました。その流れは三河において松平氏による浄土宗への帰依へとつながり、末裔の徳川家康が増上寺を江戸の菩提所、知恩院を京都の菩提所と定めたことにより、教団の地位は確固たるものになりました。本章では、将軍家や諸大名の外護を得て飛躍的に興隆した江戸時代の浄土宗の様子をたどり、篤い信仰を背景に浄土宗寺院にもたらされ、現代に伝えられた、多彩でスケールの大きな宝物を紹介します。
◉徳川家康が増上寺に奉納した3組の仏教聖典
重要文化財 大蔵経
江戸に開府した徳川家康は、大和国、周防国、近江国の寺院から、領地と引き換えにそれぞれ宋版、元版、高麗版の大蔵経を召し上げ、増上寺に寄進した。3組の大蔵経があわせて伝来する例は世界的に極めてめずらしい。
※会期中展示替えがあります。
※会場により展示部分が変わる可能性があります。
◉幕末に増上寺へ奉納された破格の羅漢図
◀五百羅漢図
幕末の絵師、狩野一信(1816~63)が晩年におよそ10年をかけて挑んだ羅漢図の大幅。羅漢の日常や神通力、仏教世界の様々を、西洋画法も用いながらエネルギッシュに描き出している。全100幅のうち24幅を展示予定。
※会場により展示部分が変わります(この第24幅は東京・京都会場で展示します)。
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【開催概要】
展覧会名:特別展 法然と極楽浄土
会 期:2024(令和6)年10月8日(火)~12月1日(日)
[主な展示替]
前期展示:10月8日(火)~11月4日(月・休)
後期展示:11月6日(水)~12月1日(日)
※会期中、一部の作品は上記以外にも展示替を行います。
会 場:京都国立博物館 平成知新館
休 館 日:月曜日
※ただし、10月14日(月・祝)、11月4日(月・休)は開館し、10月15日(火)、11月5日(火)休館
開館時間:9:00~17:30(入館は17:00まで)
金曜日のみ 9:00~20:00(入館は19:30まで)
観 覧 料:一般 1,800円(1,600円)
大学生 1,200円(1,000円)
高校生 700円(500円)
●( )内は前売・20名以上の団体料金です。
●前売券は8月下旬から10月7日(月)まで主なプレイガイド等で販売します。
●前売券・お得な前売りチケットについては、展覧会公式サイトにてお知らせいたします。
●大学生・高校生の方は学生証をご提示ください。
●中学生以下は無料です。
●障害者手帳等(*)をご提示の方とその介護者1名は、観覧料が無料になります。
*身体障害者手帳、療育手帳、精神障害者保健福祉手帳、戦傷病者手帳、被爆者健康手帳、
特定疾患医療受給者証、特定医療費(指定難病)受給者証、小児慢性特定疾病医療受給者証
●キャンパスメンバーズ(含教職員)は、学生証または教職員証をご提示いただくと、
各種当日料金より500円引き(一般1,300円、大学生700円、高校生200円)となります
(当日南門チケット売場のみの販売)
主 催:京都国立博物館、NHK京都放送局、NHKエンタープライズ近畿、読売新聞社
特別協賛:キヤノン、大和証券グループ、T&D保険グループ、明治ホールディングス
協 賛:JR東日本、清水建設、竹中工務店、三井住友銀行、三井不動産、三菱ガス化学、三菱地所、三菱商事
特別協力:浄土宗開宗850年慶讃委員会、文化庁
協 力:NISSHA
展覧会公式サイト
https://tsumugu.yomiuri.co.jp/honen2024-25/
展覧会公式SNS
X(旧Twitter):@honen2024_25
Instagram:@honen2024_25