モネのように光に魅せられた日本画家がいた

 

没後50年  生誕120年

奥村厚一 光の風景画家 展

 

2024年7月19日(金)~9月8日(日)

 

 2024年に生誕120年、没後50年となるのを記念して、風景表現を一貫して追求した日本画家・奥村厚一(1904~1974)展を開催します。1976(昭和51)年、京都市美術館では奥村厚一の遺作展を開催し、本展は当館ではそれ以来の大規模な回顧展となります。

 1904(明治37)年、京都市に生まれた奥村厚一は、京都市立絵画専門学校研究科へ進学すると同時に、西村五雲に師事しました。1929(昭和4)年に第10回帝展に《山村》が初入選して以来、官展を中心に京都や信州などの土地を題材に、精緻な筆致に鋭く季節を捉えた風景表現を発表し、1946(昭和21)年、雪に覆われ立ち並ぶ木々を清澄な空気の下に描いた《浄晨》で特選を受賞しました。

 しかしその2年後、1948(昭和23)年には山本丘人、上村松篁、秋野不矩らとともに創造美術を結成して官展を離れ、新しい日本画を創造する活動に身を投じます。それまでの日本画表現に疑義を呈し、自らの制作を厳しく問い直す中で、それまでの繊細な描線から、太い輪郭線や、面として大きく対象を捉えた風景表現を追求していきます。さらに描く対象を大写しにして、大胆に抽象化し、激しい波や雲などの自然現象や木々の生命観を強調する作風も生まれました。

 本展では、奥村厚一の初期から晩年の制作を各時期の代表作で振り返ると共に、京都市美術館などが所蔵するスケッチもあわせて展示します。このスケッチは、日本各地を旅し、厳しい自然や風景と直接向き合い、卓抜な構図と堅実な写生でその姿を克明に捉えた奥村の制作の原点を示すともいえる作品群となります。

 

✧⋄⋆⋅⋆⋄✧⋄⋆⋅⋆⋄✧⋄⋆⋅⋆⋄✧⋄⋆⋅⋆⋄✧✧⋄⋆⋅⋆⋄✧⋄⋆⋅⋆⋄✧⋄⋆⋅⋆⋄✧⋄⋆⋅⋆⋄✧✧⋄⋆⋅⋆⋄✧⋄⋆⋅⋆⋄✧

奥村厚一
奥村厚一

 

【奥村厚一   プロフィール】

 

1904(明治37)年7月1日生 ー 1974(昭和49)年6月25日没

京都市生まれの日本画家。主に風景画を得意とし、大きな作品はもとよりスケッチも味わい深い。1923年 京都市立絵画専門学校(現:京都市立芸術大学)入学、1928年卒業、同校研究科へ進学、西村五雲に師事。1929年 第10回帝展《山村》が初入選。1946年 第二回日展において《浄晨》が特選。(現在 東京藝術大学大学美術館所蔵)  1948年 山本丘人、福田豊四郎、秋野不矩、上村松篁ら13人のメンバーで創造美術(現:創画会)を結成。1960年 京都市立美術大学(現:京都市立芸術大学)教授、1971年 嵯峨美術短期大学(現:京都嵯芸芸術大学短期大学部)教授、1976年 京都市立芸術大学 名誉教授、6月肝臓疾患のため死去、1976(昭和51)年 奥村厚一遺作展を京都市美術館にて開催。

 

✧⋄⋆⋅⋆⋄✧⋄⋆⋅⋆⋄✧⋄⋆⋅⋆⋄✧⋄⋆⋅⋆⋄✧✧⋄⋆⋅⋆⋄✧⋄⋆⋅⋆⋄✧⋄⋆⋅⋆⋄✧⋄⋆⋅⋆⋄✧✧⋄⋆⋅⋆⋄✧⋄⋆⋅⋆⋄✧

 

【本展の見どころ】

 

1.奥村厚一の全貌が知れる大規模回顧展。新発見の作品《春晴》(昭和10年代)、《山雲紅葉》(昭和30年代頃)や、半世紀の時を経て再発見された作品《松林の秋》(昭和11年)、《凍風》(昭和10年代前半頃)、《五月雨》(昭和10年代後半)。《花の原野(アラスカ)》(昭和48年頃)を展示。

 

2.奥村厚一は「山の画家」と呼ばれ、自ら山や自然に分け入って精緻なスケッチを数多く描いている、その克明な描写は高い評価を得、また山好きであればだれもが知る名山や絶景の魅力を、余すことなく描写している。これらスケッチ群(約80点)を、かつてない規模で紹介。

 

✧⋄⋆⋅⋆⋄✧⋄⋆⋅⋆⋄✧⋄⋆⋅⋆⋄✧⋄⋆⋅⋆⋄✧✧⋄⋆⋅⋆⋄✧⋄⋆⋅⋆⋄✧⋄⋆⋅⋆⋄✧⋄⋆⋅⋆⋄✧✧⋄⋆⋅⋆⋄✧⋄⋆⋅⋆⋄✧

 

第1章 画業を追う―官展を舞台に(1934~1946)

 

1928(昭和3)年、京都市立絵画専門学校を卒業した奥村厚一は、研究科に進学すると共に西村五雲の画塾に入門する。師の下で奥村も、生涯追求し続けた風景という対象に真摯に向き合うことから画業を深めていく。

翌1929(昭和4)年、25歳で第10回帝展に《山村》が初入選し、その後も入選を重ね、頭角を表していく。官展出品作などの大作では、計算された構図に、手堅い写生で捉えた木々や家々を主題にしながら、雨や雪、落葉、夏山など気候や季節感を鋭敏に捉えている。写生に基づいた堅実な描写に、詩的情感を伴う作風は、奥村の画壇での評価を高めていく。

1938(昭和13)年の《夕光》では、青々とした雄大な山々に抱かれるように小さな集落が描かれる。光が風景にもたらす効果に関心をもった奥村であるが、この作品でも傾きかけた日光が山に明暗を刻む様子が様々な緑の諧調として表されている。山には生涯向き合うことになるが、早い時期から山に親しみその主題を深めることで独自の作風を築いていった。

戦時中はそれまでの旺盛な制作が一旦は中断するが、戦後すぐの1946年、第2回日展で《浄晨》が特選を受賞する。奥村が終生好んだ雪景色を題材とした代表作となる。朝晩の冷え込みが一段と進み、カラマツの枝が霧氷で覆われている。空にはうっすらと朝の光が差し始めている。白銀の世界が広がる浄らかな夜明けの情景である。

 

奥村厚一《落葉の秋》 1937年
奥村厚一《落葉の秋》 1937年
奥村厚一《夕光》 1938年 株式会社 玉村本店蔵
奥村厚一《夕光》 1938年 株式会社 玉村本店蔵

奥村厚一《春昼》1938年 株式会社 玉村本店蔵
奥村厚一《春昼》1938年 株式会社 玉村本店蔵
奥村厚一 《初冬晴日》 1946年  株式会社 玉村本店蔵
奥村厚一 《初冬晴日》 1946年  株式会社 玉村本店蔵

奥村厚一 《浄晨》 1946年 東京藝術大学蔵
奥村厚一 《浄晨》 1946年 東京藝術大学蔵
奥村厚一 《笠ヶ岳(志賀高原)》 1947年頃 熊の湯ホテル蔵
奥村厚一 《笠ヶ岳(志賀高原)》 1947年頃 熊の湯ホテル蔵

 

 

第2章 画業を追う―創造美術以降(1947~1974)

 

《浄晨》による特選を経て、中堅実力作家として画壇における地位も確立していたが、1948(昭和23)年には、旧態依然とした日展を離れ、創造美術の結成に加わる。創造美術は、新しい時代の日本画の創作を実現するために、山本丘人、福田豊四郎ら東京の作家と上村松篁、秋野不矩ら京都の中堅作家13名を創立会員として結成された。

第3回展まで開かれた創造美術は、1951(昭和26)年、洋画の新制作派協会と合流し、新制作協会日本画部として再スタートする。洋画家との交わりが日本画部の制作にも影響を及ぼしたのか、奥村の作品にも変化が現れるようになる。

特に1950年代以降の作品には、それまでの繊細な描線から太い描線でモチーフが輪郭づけられる。また以前にはなかった風景の断片を切り取る構図、波だけをクローズアップして捉えたり、木立の茂みに焦点をあてたりする構図が現れる。風景の全体を捉えるのではなく、風景に肉薄し、そのリズム、律動、呼吸、命あるものの息遣いを捉えようとする描写に移行するのである。

1960年代の後半から晩年の70年代にかけては、往時の明るく色鮮やかな画面から、色彩を限定した無彩色に近い色調へ変化していく。銀やプラチナ箔を用い、葉を落とした木々で覆われる、冬の荒涼とした自然の姿が追求される。人間を包み込むだけでなく、人間の前に立ちはだかる自然の厳しさが表されているようである。

 

奥村厚一 《海》 1951年頃 株式会社 玉村本店蔵
奥村厚一 《海》 1951年頃 株式会社 玉村本店蔵
奥村厚一 《浪》 1955年 文明堂東京蔵
奥村厚一 《浪》 1955年 文明堂東京蔵

奥村厚一 《赤松の林》 1955年 京都市美術館蔵
奥村厚一 《赤松の林》 1955年 京都市美術館蔵

奥村厚一 《オランダ風景》 1963年 株式会社 玉村本店蔵
奥村厚一 《オランダ風景》 1963年 株式会社 玉村本店蔵
奥村厚一 《北岬》 1972年
奥村厚一 《北岬》 1972年

 

第3章 風景と光

 

奥村厚一は、早い時期から光が風景にもたらす効果に関心を抱いていた。光が風景を一変させる面白さを作品に取り入れることで、奥村の作品にはより深い奥行きが加わる。この章では、奥村の手がけた小品を中心に、作品に満ちる光に焦点を当てる。

水面への反映という主題は、初期には水をひいた田んぼに真っ青な空と雲が映り込むという現象を捉えることから始まっているようである。

その後も、この主題の探求は深められ、静かで鏡のような湖面に映し出された朧げな像、その風景の上に立つさざ波の実像、水面に映る木々、その像の上の落葉の実像というように、虚像と実像が入り混じって互いに入れ替わる様子を巧みに描き出している。

また海面に反射するまぶしいばかりの朝日は、乱反射して水面を輝かしたり、視界を遮ったりする。雪に覆われた風景では、雪に反射する光が風景全体を明るく輝かしている。また雪に落ちる木々の影も、青や灰色など一様ではない色で捉えられる点も、影の色をよく観察しているからであろう。

岩や山を照らす光は、その凹凸に沿って濃い色調となったり、明るい色調となったり、また異なる諧調の色に変化したりして対象を立体的に形作っている。

 

奥村厚一 《照る海 潮の岬》 1960-1964年頃
奥村厚一 《照る海 潮の岬》 1960-1964年頃
奥村厚一 《白緑の白樺》 1955-1964年頃
奥村厚一 《白緑の白樺》 1955-1964年頃
奥村厚一 《朝光の岬》 1955-1964年頃
奥村厚一 《朝光の岬》 1955-1964年頃
奥村厚一 《湖光》 1965-1974年頃 ギャラリー鉄斎堂
奥村厚一 《湖光》 1965-1974年頃 ギャラリー鉄斎堂

 

第4章 旅とスケッチ

 

奥村は生来の山好きで、生涯をかけて山を歩き、行く先々の風景を描いたスケッチを数多く残している。早い時期には京都の北山の峰々や琵琶湖から臨む比良山地など近隣に山々をめぐっている。

戦後になると何回もスケッチ旅行に出かけている。よく訪れたのは京都から遠くない和歌山県の山々や潮岬、奈良県や三重県の県境のある大台ヶ原山や四国・徳島の剣山など山々であった。特に何度も足を運んだのは、戦前から訪れていた長野県の日本アルプスの山々であ。。

奥村のスケッチはどれも一幅の絵のような完成度を示している。どれも構図が吟味され、山の稜線や木々の緑、勢いのある水の流れ、水に映る風景、切り立った岩、段々畑、集落の家々、点景人物などが、克明に捉えられている。空にぽっかり浮かぶ雲、山々を照らす光までも見逃さない。スケッチには時に美しい色彩が添えられる。実際に山を歩き回り、見出した風景の美しさへの画家の感興が、瑞々しく表される。

奥村は「わたしの素描は、あまりおもしろくないのではないかと心配しているんです。まっすぐに、そのままに描いているのですから。なんにもデフォルメしたり、強く主張を押し出したり、変えて描くというようなことをしない。そのままの写生といいましょうか。」と述べる。

奥村のスケッチは、本人の言う通り、画家の目に映ったそのままの風景なのだろう。であるからこそ、どのスケッチも率直で、真っすぐに自然と向き合い、その強さや深さを全身で受け入れている。自然を生涯の創作のテーマとして追究した奥村の制作姿勢が反映されている。

 

奥村厚一 《潮岬》 京都市美術館蔵
奥村厚一 《潮岬》 京都市美術館蔵
奥村厚一 《大蛇嵒》 1959年頃 京都市美術館蔵
奥村厚一 《大蛇嵒》 1959年頃 京都市美術館蔵

 

【開催概要】

 

展覧会名:没後50年 生誕120年 奥村厚一 光の風景画家

会  場:2024年7月19日(金)~9月8日(日)

時  間:10:00~18:00

     830日(金)、31日(土)は夜間開館を実施。

          時間:10002000(最終入場は1930

 

休  館  日:月曜日 ※祝・休日の場合は開館

  覧  料:⦅当日⦆一般 1,800円 大高生 1,300円 小中学生 1,000円

      ※すべて税込

      ※障害者手帳等のご提示の方は本人及び介護者1名無料

主  催:ライブエグザム、BSフジ、BS11、京都新聞、京都市

チケット取扱い:イープラス、京都市京セラ美術館公式オンラインチケット、

        チケットぴあ、ローソンチケット(Lコード:53878)、楽天チケット

お問合せ先:075-771-4334 (京都市京セラ美術館)