⦅特集⦆体験取材「重要文化財 京都・東本願寺の非公開エリアを巡るツアー」に参加!

 

プロフェッショナル・エージェンシー事業を展開する株式会社クリーク・アンド・リバー社の企画・運営する「京都・東本願寺の魅力を堪能するプレミアムツアー~文化財建築に隠された”秘密”を巡り、かつての”舟遊び”を堪能~」ツアーに7日、取材してきました。

 

御影堂門
御影堂門
阿弥陀堂門
阿弥陀堂門

手前から阿弥陀堂、御影堂
手前から阿弥陀堂、御影堂

 

このツアーは、今年度、文化庁が実施した「全国各地の魅力的な文化財活用推進事業」で採択された事業の一環として実施されるものです。

御影堂・阿弥陀堂・御影堂門など全23棟が重要文化財となっている浄土真宗大谷派(東本願寺)。750年以上前に廟堂が建てられたのを起こりに、数々の歴史の舞台となりました。時に大火に見舞われ、また時に戦火に巻き込まれるなどし、4度焼失。一見、日本古来の伝統的な寺院建築に見えますが、洋館を配置するなど、重層的に近代建築の構造や要素を持つという他にはない建築でもあります。

今回、通常非公開となっている重要文化財内部を詳しく案内のツアーは、今年度、文化庁が実施した「全国各地の魅力的な文化財活用推進事業」で採択された事業の一環として実施されるものです。

 

御影堂・阿弥陀堂・御影堂門など全23棟が重要文化財となっている浄土真宗大谷派(東本願寺)。750年以上前に廟堂が建てられたのを起こりに、数々の歴史の舞台となりました。時に大火に見舞われ、また時に戦火に巻き込まれるなどし、4度焼失。一見、日本古来の伝統的な寺院建築に見えますが、洋館を配置するなど、重層的に近代建築の構造や要素を持つという他にはない建築でもあります。

 

今回、通常非公開となっている重要文化財内部を詳しく解説・案内するシークレットツアーや渉成園での舟遊び、能舞台などを通じて、東本願寺の歴史と文化財の魅力を少人数でゆったりと楽しむことを目的としています。

 

https://peatix.com/event/4201564/

https://www.kkday.com/ja/product/262247

 

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本ツアーのために修繕された「菊門」前からツアーは始まります。

通常非公開となっている建築を僧侶に詳しく解説・ご案内いただきながら境内を巡る重要文化財シークレットツアー。折上格天井や金粉をまぶした障壁画のある白書院。旧大宮御所より移築された雅な宮御殿。円山応挙の障壁画を飾る洗練された近代数寄屋建築である桜下亭などを巡ります。

 

 菊門(重要文化財)

門扉に菊の紋があることから菊の門と呼ばれているが、勅使門とも呼ばれています。慶長9年(1604)に徳川家康が寄進しましたが、幾たびか火災で焼失しました。明治44年(1911)の親鸞聖人六百五十回忌までの再建に間に合うよう、名古屋の信者2名が勅使門(菊門)の寄進を申し出ました。勅使門の設計は亀岡末吉、施工は名古屋南久屋町の鈴木幸右衛門、金物制作は京都の中村亥之助、塗工は京都の三上治三郎という当代きっての第一人者が担当しました。工事は明治42年(1909)から開始され、予定通り明治44年(1911)2月に完成しました。

菊の紋は明治維新後に皇室の御紋章と定められたので宮内省にお伺いしたところ、岩倉具定宮内大臣より江戸時代から使用されていたことを認められ、使用が特別に許可されたエピソードがあります。

 

 

「菊門」より出発。

「菊門」の名称は、その昔朝廷からの勅使が使用する勅使門であったことから、門扉に金色の大菊花を浮き彫りにしていることにちなみます。

今回のツアーのために修繕され、今回なんと25年ぶりに開門しました

大玄関
大玄関
大寝殿
大寝殿
大寝殿より菊門
大寝殿より菊門

 

大玄関(重要文化財)

慶應3年(1867)再建。東本願寺境内で最古の現存建築物です。

白書院(重要文化財)

明治44年(1911)に親鸞聖人六百五十回御恩忌に際して再建。来賓の接待などに使用されています。帳台構えや違い棚を設けた書院造で、建築技師の亀岡末吉らによる独創的な彫刻で飾られた欄間や、幸野楳嶺の子息の幸野西湖や、森本東閣、伊藤鷺城ら京都画壇の画家による障壁画で装飾されています。

能舞台(重要文化財)

明治13年(1880)に建てられたもので、昭和12年(1937)に現在地に移築されました。鏡板に描かれている松は幸野楳嶺によるものです。普段は補用のため、板で覆われています。

桜下亭(重要文化財)

明治42年(1909)に、前年に引退した現如上人(大谷光瑩)の隠居所として建てられた東京の霞ヶ丘別邸の一部を昭和14年(1939)に移築したものです。内部の襖は岐阜別院にあった円山応挙の襖絵を移設したものです。

 

白書院(重要文化財)
白書院(重要文化財)
折上格天井
折上格天井
障子画
障子画

白書院から見る能舞台(重要文化財)
白書院から見る能舞台(重要文化財)
百閒廊下(重要文化財)
百閒廊下(重要文化財)
宮御殿襖絵
宮御殿襖絵
宮御殿(重要文化財)から見る庭園
宮御殿(重要文化財)から見る庭園
宮御殿襖絵
宮御殿襖絵

宮御殿襖絵
宮御殿襖絵

 

宮御殿(重要文化財)

もとは慶應3年(1867)に建てられた大宮御所の一部です。明治13年(1880)に下賜されましたが、部材のまま置いていたところ、明治34年(1901)になって現在地に建てられました。

 

宮御殿襖絵
宮御殿襖絵
床の間
床の間
宮御殿襖絵
宮御殿襖絵

宮御殿の庭
宮御殿の庭
防火のための石垣
防火のための石垣
防火扉
防火扉

御影堂
御影堂
御影堂内陣
御影堂内陣

 

御影堂(重要文化財)

宗祖親鸞聖人の御真影を安置する重要な建物で、真宗大谷派の崇敬の中心となっています。境内のほぼ中央に建ち、正面76m、側面58m、高さ38mの規模を誇る、世界最大級の木造建築物です(建築面積は東大寺大仏殿を上回ります)。屋根は瓦葺きの重層入母屋造で、約175000枚の瓦が葺かれています。外見が二十屋根であるため二層建築に見えますが、下部は裳階で単層建築です。

明治13年(1880)から15年の歳月をかけて明治28年に落慶しました。木工技術、彫刻。工芸の粋を集めて施工され、内陣は幸野楳嶺や望月玉泉などに明治期の京都画壇を代表する画家の筆になる障壁画や襖絵で飾られています。

宗祖親鸞聖人の御真影の左右には、先門主や蓮如上人、歴代門主の御影像。そして、十字・九字名号が掛けられています。内陣・外陣に敷かれた畳をあわせると927畳にも及びます。

 

毛綱
毛綱
尾神嶽殉難の様子
尾神嶽殉難の様子

阿弥陀堂
阿弥陀堂
阿弥陀堂内陣
阿弥陀堂内陣

 

阿弥陀堂(重要文化財)

本堂です。禅宗様を取り入れた仏堂で、本尊・阿弥陀如来立像を安置します。屋根は瓦葺きの単層入母屋造。建築規模は、正面52m、側面47m、高さ29mです。床面積比では御影堂の半分以下ですが、全国屈指の規模の仏堂です。明治13年(1880)から起工し、明治28年に落慶しました。堂内は、内陣・外陣・参拝席に分かれています。本間の須弥壇の宮殿内には、本尊の阿弥陀如来立像(木造)が安置されています。また、本間右側壇上には「聖徳太子御影」の絵像、本間左側壇上には「源空上人御影」の絵像が奉掛されています。また、内陣の本間から右側の四間を「北余間」と呼んで、その床上に内側から「龍樹大士御影」「天親菩薩御影」「曇鸞和尚御影」の絵像が、左側の「南余間」の床上の内側から「道綽禅師御影」「善導大師御影」「源信僧都御影」の絵像が奉掛されています。内陣の襖絵は羽田月洲と岸竹堂によって描かれています。

 

防災遺産 琵琶湖疎水からの防火水道「旧本願寺水道」
防災遺産 琵琶湖疎水からの防火水道「旧本願寺水道」
御影堂門の門扉。一枚板でできている
御影堂門の門扉。一枚板でできている

 

渉成園(しょうせいえん) 枳殻邸(きこくてい)

 

渉成園は、東本願寺の飛地境内地で、周囲に枳殻(からたち)が植えてあったことから枳殻邸ともよばれています。この土地は、第十三代宣如上人が三代将軍徳川家光から寄進を受け、承応2年(1653)に自らの隠居所とし、中国の詩人陶淵明の『帰去来辞』の一節をとって「渉成園」と名づけたのが始まりです。この庭園は「池泉回遊式庭園」で、石川丈山の作庭になると伝えられています。

また、この地は、平安時代末期(9世紀末)の左大臣源融(みなもとのとおる)が営んだ六条河原院の旧蹟という伝承があったことから、庭園の随所に源融にちなんだ景物が趣向として配されています。しかしながら、現在は歴史学に見て七条坊門小路以北、万里小路以東であることから、河原院との関係を否定する説が出されています。

渉成園は創立以来幾度かの火災に遭い、現在に建物は元治元年(1864)の蛤御門の変による炎上以後、明治時代に復興されました。

なお、昭和11年(1936)には文人趣味に溢れる仏事庭園として国の名勝に指定されています。

 


 

印月池(十三景)

渉成園の中心となる広い池です。東山から上る月影を水面に映して美しいことから、この名が付けられました。池の広さは約1700坪あり、園全体の約六分の一を占めています。渉成園は、この印月池の周辺を歩いて回遊する「池泉回遊式庭園」として造園されています。

傍花閣(十三景)

園林堂の前、山門にあたる位置に建てられています。庭園内には珍しい楼門作りで、左右側面に山廊と呼ばれる階段の入口があり、階上には四畳半の部屋が設けられています。傍らには桜並木が広がり、春にはその名にふさわしい佇まいを見ることができます。

 

 

飛地境内地 渉成園での舟遊び

 

本願寺の東方約200mに位置する渉成園へ移動し、江戸時代後期の1827年に書かれた『渉成園十三景詠』『渉成園記』の内容と照らし合わせながら、美しい景気を堪能します。印月池に浮かべた舟からお庭を眺めるもそのひとつです。心を落ち着かせる舟遊びを愉しむことが出来ました。

 



 

「英語で見せる能楽」能舞台鑑賞

渉成園は光源氏のモデルともよばれる源融の旧邸と言われました。今回は源氏物語にちなんだ演目の「融(とおる)」を観世流 能楽師 河村晴久氏が上演します。

約60分。(舞30分、解説30分くらい)

 

【能楽師:河村晴久(かわむら はるひさ)氏】

観世流 シテ方

重要無形文化財「能楽」総合認定保持者

同志社大学 客員教授

河村氏のプロフィール

https://www.nohgakusha.com/index.html

 

能舞台 間近で鑑賞できる
能舞台 間近で鑑賞できる

 

 

オプショナルツアー 夜の境内ツアー

希望者のみ、閉門後の東本願寺境内へ戻り、夜の境内ツアーへ。

静まった境内を散策した後は、御影堂門に上り、門の上から京都タワー、京都駅などいつもと違う京都の夜景を楽しめます。

※当施設は重要文化財でバリアフリーではありません。また、通常の見学ルートではなく、急な階段を夜間に昇降します。体調のすぐれない方や足腰に不安のある方は特に危険となる可能性もありますのでご参加をご遠慮いただく場合があります。

 

夜の御影堂
夜の御影堂

夜の御影堂門を境内より見る
夜の御影堂門を境内より見る

 

御影堂門(重要文化財)

明治44年(1911)再建。高さ28mの入母屋造・本瓦葺き・三門形式の二重門。「清宗本廟」の扁額を掲げています。京都三大門(他に東福寺、知恩院)の一つ。上層には、釈迦如来立像を中心に、脇侍に弥勒菩薩立像、左側に阿難尊者立像の三尊が安置され、浄土真宗の正依の経典「浄土三部経」の一つである『仏説無量寿経』の会座をあらわしています。また手前には仏舎利が安置されています。天井画は竹内栖鳳によって飛天舞楽図が描かれる予定でしたが、結局描かれていません。しかし、原寸大の下絵が残されています。

 

御影堂門上より御影堂を望む
御影堂門上より御影堂を望む
御影堂門上より阿弥陀堂を望む
御影堂門上より阿弥陀堂を望む

御影堂門上の釈迦如来坐像と弥勒菩薩立像(右)、阿難尊者立像
御影堂門上の釈迦如来坐像と弥勒菩薩立像(右)、阿難尊者立像

 

 

 

【ツアーについて】

 

https://peatix.com/event/4201564/

https://www.kkday.com/ja/product/262247

 

 

C&R社は、本イベント以外にも、長崎市が推進する「地域でつくる”もうひとつの長崎観光”看板商品創出事業」への協力やJAL特別ツアー「夜の北九州空港見学会」への協力のほか、「廃墟景観シンポジウム」への協力、福島県南相馬市周辺で開催される神事「相馬野馬追(そうまのまおい)」のライブ配信の企画・運営・プロデュースなど、クリエイティブの力を活用してさまざまな形で地域の魅力の発信をサポートしています。C&R社は今後も、プロフェッショナルの能力を最大限に活かし、地域の活性化を推進していくとともに、ビジョンである「人と社会の豊かさの創生」の実現を目指しています。

https://www.cri.co.jp/

 


 

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https://www.kkday.com/ja/product/262247

 

 

C&R社は、本イベント以外にも、長崎市が推進する「地域でつくる”もうひとつの長崎観光”看板商品創出事業」への協力やJAL特別ツアー「夜の北九州空港見学会」への協力のほか、「廃墟景観シンポジウム」への協力、福島県南相馬市周辺で開催される神事「相馬野馬追(そうまのまおい)」のライブ配信の企画・運営・プロデュースなど、クリエイティブの力を活用してさまざまな形で地域の魅力の発信をサポートしています。C&R社は今後も、プロフェッショナルの能力を最大限に活かし、地域の活性化を推進していくとともに、ビジョンである「人と社会の豊かさの創生」の実現を目指しています。

https://www.cri.co.jp/